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新約聖書の根本問題

十字架・復活・高挙の神学

新約聖書の根本問題
著者 伊吹 雄
ジャンル 哲学・思想
宗教
出版年月日 2013/09/25
ISBN 9784862851611
判型・ページ数 菊判・252ページ
定価 本体4,600円+税
在庫 在庫あり
 

目次

第1章 イエスの受難と神の救いの意思――終末論的『ねばならない』“δε?”について
Ⅰ イエスの受難とその躓き
Ⅱ 終末論的な「ねばならない」
Ⅲ 「人の子の受難の予言」(Leidensweissagung)――マルコ8,31を中心に
Ⅳ 結論
付論Ⅰ 「ねばならない」のうちの神の救いの意思の現れとしての「そして」について
付論Ⅱ ある場合におけるイエスの「ねばならない」

第2章 派遣された者のドクサ――ヨハネ福音書キリスト論の問題
Ⅰ ドクサ概念より見たヨハネ「キリスト論」の問題
Ⅱ 考慮すべき事柄
Ⅲ 問題提起
Ⅳ ドクサの隠された在り方へ向けて展望を開くこと
Ⅴ ドクサ概念の射程距離

第3章 イエスの復活とその顕現についての再考
付論 復活についての覚え書き

第4章 新約聖書の言語
序 言
Ⅰ 神の言葉は同時にわざであることについて(「神が語った」)
Ⅱ 人間の言葉における神の言葉について(「神は,…子において,語った」)
Ⅲ 終末の子における語りについて(「神は日々のこの終わりに子において語った」)
Ⅳ 神がわれわれに語ったということについて(「神は子においてわれわれに語った」)

第5章 パウロにおける自然の神認識――(ロマ1.20f)について
Ⅰ 問題提起――テキストに密着した厳密な解釈に向けて
Ⅱ パウロにおける自然の神認識の真相
Ⅲ 万物の被造性と人間の内なる被造性の了解
Ⅳ 神を知りつつ神を拒む人間
Ⅴ 承前――シュリーアの洞察
Ⅵ おわりに

第6章 イエスの処女降誕について

第7章 ヘブル書についての一考察

解説Ⅰ ヨハネ福音書入門――伊吹雄著『ヨハネ福音書註解』Ⅰ―Ⅲ(全三巻)について(甲斐博見)
Ⅰ Jnの構成の問題
Ⅱ Jnの核心をなすもの,「初めにロゴスがあった」という冒頭の一文
Ⅲ 霊におけるイエスのアナムネーシスとケーリュグマ
Ⅳ 奇跡について
Ⅴ ケーリュグマについて
Ⅵ 呼びかけとしての言葉と証しとしてのわざについて
Ⅶ 証しについて
Ⅷ 第20章,復活物語における「現れた」と「見た」という言葉について

解説Ⅱ ヨハネ福音書のプロローグの一考察――伊吹雄著『ヨハネ福音書註解』(全三巻)の根本問題をめぐって(甲斐博見)
はじめに
Ⅰ 伊吹雄の「初めにロゴスがあった」という文の解釈について
Ⅱ ゲシュタルト的全体の中心軸としての「初めはロゴスがあった」について
Ⅲ ヨハネの〈創造論的救済論〉:創世記の神の創造を凌駕する救済の出来事

おわりに

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内容説明

本書はヨハネ福音書をはじめ共観福音書,パウロ書簡,ヘブル書などを検討するとともに,新約聖書の言語の問題を通して,新約聖書の根幹をなす「十字架」「復活」「栄光」そして「愛」「聖霊」といった神学的概念の源泉がイエス・キリストの表わした「神の愛」(アガペー)であることを多面的に考察する。さらに著者のライフワークであり,他に類書のない『ヨハネ福音書注解』(全3巻)についての「解説」(甲斐博見)2編を付す。
著者は,地上のイエスと復活したイエスのアイデンティティーはイエスの一回的なアガペー以外ではありえず,復活したイエスの手と脇の傷は肉体におけるアガペーの痕跡であることを明らかにする。
新約聖書の根本事象は霊によるアナムネーシス(想起)によって書かれているという視点から全編を考察する。新約聖書の言葉は霊の働きを通して今を生きるわれわれに直に届く言葉で書かれており,そのように読めるようになってはじめてその真意が理解できる。
恩師H. シュリーアの方法を継いで,聖書の原テキストに密着し,厳密に解釈して紡がれたこれらの業績は,伊吹新約学の到達点を示す貴重な記録である。

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