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感覚する人とその物理学

デカルト研究3

感覚する人とその物理学
著者 村上 勝三
ジャンル 哲学・思想
シリーズ デカルト研究
出版年月日 2009/11/05
ISBN 9784862850690
判型・ページ数 A5・392ページ
定価 本体6,800円+税
在庫 在庫あり
 

目次

第Ⅰ部「第六省察」研究
第1章 予備的考察
序/デカルト哲学における『省察』の位置/『省察』の書物としての特有性/「第六省察」の段落構成/フェデの版の段落区切り
第2章 構成についての諸解釈
序/L・J・ベックの解釈/M・ゲルーの解釈/G・ロディス・レヴィスの解釈/G・ディッカーの解釈/山田弘明の解釈/補論
第3章「第六省察」の構成
序/「第六省察」の詳細目次/「第六省察」の構成
第4章 想像力に向かって
明証性/純粋数学の対象/判明な知覚の矛盾
第5章 想像力とは何であるのか
想像作用と純粋な知解作用との差異/想像力は特性を教えない/新たな緊張/振り向ける方向の違い/蓋然的結論
第6章 「想像力」理論の展開
理性を超える想像力の働き/形と想像力/知性と想像力/心の最始的座と想像力/知性と脳
第7章 「感覚」論への出で立ち
序/夢と感覚/物理学と感覚的意見への疑い
第8章 感覚のこれまで
序/身体と物体/内に外に/自然によって教えられた/疑うに至った理由
第9章 物体の実在証明と物理学
精神と物体の実象的区別/「私」という実体の能力/受け取る能力/物理学の成立/自然の教える三つのこと/デカルト物理学の特徴
第10章 人間としての「私」
序/しきたりから受け取ったもの/三つの次元/合一体の自然/内的感覚の誤り/心=精神と身体の関係/「身心問題」について/世界との繋がりとしての感覚

第Ⅱ部「感覚」論の諸相と物体の実在証明
第1章 物体の実在証明における「感覚」と「想像力」の役割について
序/『哲学の原理』における物体の実在証明/マルブランシュとライプニッツの批判/スピノザにおける物体的なものの実在証明/問いへの答えと想像力の問題/スピノザの証明における想像力の不在
第2章 感覚の三段階
「第六答弁第九項」/感覚は時として欺く/感覚と知性
第3章 曖昧にして不分明なる「意識」
序/感じていると感じる/意識の感覚化/記憶と自我意識/実感としての意識/意識という闇
第4章 内的感覚
内的感覚への問い/内的感覚前史――エウスタキウスとデュプレックス/内的感覚――マルブランシュとライプニッツ/デカルト哲学における「内的感覚」の展開/内的感覚と外的感覚/内的感覚の倫理的意味

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内容説明

「私が思う」という「コギト」がデカルト哲学の革新の源泉であるのは被造性をもっていないからである。しかし「私」がすべての他人でもあるためには,「私」を超えて神を設定しなければその理由が与えられない。この理由の探究の末にデカルトは神を見出した。神とは必然的実在であり最前なるものであり無限である。「神」概念なしにデカルト哲学は成り立たない。しかるに現代哲学は「無限」について論じる場を提供しうるのか。
この問題意識から第1部では「第六省察」をテクストに即して分析,『省察』全体における役割,想像力,感覚,実象的区別,物体の実在証明,身心の合一,そして個人倫理の基礎を考察する。
第2部では物体の実在証明,感覚の三段階,そして意識概念と内的感覚を新たに考察することにより,17世紀の哲学史的空間のなかにおけるデカルト哲学の特有性を明らかにする。
第五省察は数学に基礎を与え,第六省察では感覚の確かさが数学とともに物理学を支え,物理学的探究は感覚と想像力に助けられた知性によって遂行されることを解明する。
ここに『観念と存在』『数学あるいは存在の重み』と本書をもってデカルト三部作が完成した。

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