ホーム > 中国思想史論攷

中国思想史論攷

宗教のある風景

中国思想史論攷
著者 西脇 常記
ジャンル 哲学・思想
東洋学
出版年月日 2022/03/20
ISBN 9784862853578
判型・ページ数 A5・280ページ
定価 本体4,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

序文

第一部 吐魯番漢語文書研究補遺

第一章 題記を有つ麴氏高昌国時代の二つの仏経断片
 はじめに
 第一節 『仏説仁王般若波羅蜜経』とその題記
 第二節 『現在十方千五百仏名』一巻とその題記
 おわりに

第二章 ベゼクリク千仏洞出土の漢語印刷断片から見える二,三のこと
 はじめに
 第一節 発見の経緯
 第二節 59「80TB1: 491a」
 第三節 未92「80TB1: 496-3」
 第四節 92「81TB10: 10a」
 おわりに
 附録 「漢語印刷仏典断片目録」

第三章 金蔵『宝雨経』とその訳場列位
 はじめに
 第一節 ベルリン蔵『宝雨経』(MIK III-113,T II)について
 第二節 ベルリン蔵『宝雨経』の訳場列位Ⅰ
 第三節 ベルリン蔵『宝雨経』の訳場列位Ⅱ
 第四節 金蔵『宝雨経』の淵源
 おわりに

第二部 中国南北朝末期(六世紀)の知識人点描

第一章 釈亡名
 はじめに
 第一節 幼年期の教育について
 第二節 釈亡名について
  (1)『歴代三宝紀』の記載
  (2)「宝人銘」(絶学箴・息心讃)の自序
 第三節 亡名の「大丈夫」
 第四節 宝人銘(絶学箴・息心讃)
 おわりに代えて

第二章 江総
 はじめに
 第一節 釈真観について
 第二節 姚察について
 第三節 江総について
  (1) 江総の伝記
  (2) 江総の「自序」
 おわりに代えて――江総の仏教

第三章 釈曇延
 はじめに
 第一節 曇延伝に見るその生涯
  (1) 道宣による曇延の位置づけ
  (2) 周弘正を巡って
  (3) 曇延の後半生
 第二節 曇延の「遺啓」と「遺告」
  (1) 隋の文帝への「遺啓」
  (2) 門人への「遺告」
 おわりに

第四章 釈静藹
 はじめに
 第一節 静藹(五三四―五七八)の生涯
  (1) 学習・修行
  (2) 弟子の教育
  (3) 曇延,道安との交遊
 第二節 廃仏への対応
  (1) 武帝への働きかけ
  (2) 捨身
  (3) 「遺偈」
 第三節 静藹伝における道宣の意図
  (1) 護法篇の「論」
  (2) 古代中国人の肉体観
  (3) 金城公の挿話
 おわりに代えて――道宣の思い

あとがき
初出一覧

第三部 あるプロテスタント牧師が描いた中国

Joachim Christoph Stahl(1697-1774)―― 十八世紀の北ドイツ敬虔主義教会副牧師の中国への関心
 はじめに
 第一節 Stahlの略歴
  (1) Stahlの発見
  (2) Stahlと中国
 第二節 Stahlに影響を与えた人物
  (1) Theophilus Siegfried Bayer(1694-1738)
  (2) August Pfeiffer(1640-1698)
 第三節 Stahlの蔵した文書と彼の中国関係の作品
  (1) Thesaurus Linguae Sinicae in usum studiorum suorum collectus(『羅漢辞書』)
  (2) “Musa polyglotta”(「多言語による詩」)
  (3) Specimen interpretationis Bibliorum Sinicae(『聖書章句を中国語で解説するための範例』)
 おわりに代えて――Stahlの目指したもの

索引

このページのトップへ

内容説明

本書は仏教やキリスト教など宗教が社会や人間に大きな影響力をもった時代を考察し,仏教史への視座を提供する。
第一部では20世紀初めにプロシャ学術調査隊がトルファン地域(現新疆ウィグル自治区)で収集した文書は,第2次世界大戦後にソ連によりベルリンから持ち去られた。冷戦終結後にベルリン・トルファン研究所で文書の目録作成が行われ,著者もそれに参加し,その関連でトルファン文書を検討する機会を得て,その成果の一部を示す。
第二部では6世紀の南北朝末期の4人の高僧,釈亡名,江総,釈曇延,釈静藹らの波乱に満ちた人生と仏教が時代と葛藤した姿を通して仏教思想の実態を解明する。この時代は3世紀にわたる分裂王朝が隋により統一され,時代の転換期を迎えていた。中でも北周の武帝による廃仏政策は仏教界に甚大な影響を与えた。社会に浸透した仏教とそれに触発された道教は,国家権力の強力な管理の下でその存在意義が問われ,儒教は10世紀の北宋期に勢力を伸長させるが,その源になる力が動き始めていた。
第三部では,18世紀ドイツのプロテスタントの敬虔主義教会の貧しい副牧師がキリスト教の中国布教を夢見た珍しい事例を紹介する。キリスト教の中国布教は15世紀の大航海時代に本格化し,主にイエズス会が担っていた。その中で敬虔主義者は自らが正しい宗教であり,他の宗教はその変型であるとした。孔子も一敬虔主義者であり,創世記により孔子の言説を説明しようとした。中国の情報が流入し始め,それをきっかけに展開した時代を写す試みであった。

このページのトップへ