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証聖者マクシモス 『難問集』

東方教父の伝統の精華

証聖者マクシモス 『難問集』
著者 谷 隆一郎
ジャンル 哲学・思想
宗教
出版年月日 2015/10/30
ISBN 9784862852199
判型・ページ数 A5・566ページ
定価 本体8,500円+税
在庫 在庫あり
 

目次

凡例/はしがき

聖なるディオニュシオスと〔ナジアンゾスの〕グレゴリオスのさまざまな難解な言葉をめぐって,マクシモスが聖なるトマスに宛てて
 序言
 一 三一性(三位一体)の意味
 二 子の無化と受肉――ヒュポスタシス・キリストの成立
 三 受肉と神化(その一)
 四 受肉と神化(その二)
 五 受肉の神秘――ヒュポスタシス的結合と二つのエネルゲイア
クジコスの主教ヨハネに宛てて,マクシモスが主において挨拶を送る。
 序言
 六 神なるロゴスの隠された在り方
 七 人間と神化――自然・本性の存在論的ダイナミズム
 八 神への背反(罪)と,その結果たる身体の腐敗と死とは,アレテーへと変容せしめられる
 九 無限と卓越した否定
 一〇 神学・哲学の諸問題
  1 序言
  2a 肉が何らか雲や蔽いであることについて
  2b 快楽はいかにして生じるか
  3 魂のすべての動きはいかなるものか
  4 モーセによる江海(葦の海)の渡過(出エジプト一四・一五―二九)についての観想
  5 モーセのシナイ山登攀についての観想
  6 ヨシュアの指導とヨルダン河の渡行,そして石による割礼についての観想(ヨシュア一三・一四―一七)
  7 エリコの町を七周したこと,契約の箱,角笛,そして断罪などについての観想(ヨシュア六・一以下)
  8 テュロスとその支配,攻略についての観想
  9 「諸々の天は神の栄光を語り告げている」(詩編一八・一)という言葉についての観想
  10 「わたしの父と母はわたしを見捨てた」(詩編二六・一〇)という言葉についての観想
  11 ホレブ山の洞穴でエリヤが見た幻視(列王上一九・九)についての観想
  12 エリヤの弟子エリシャについての観想(列王下二・一)
  13 アンナとサムエルについての観想(サムエル上一・二〇)
  14 不浄の家を滅ぼす人についての観想(レビ一四・三八)
  15 聖なるエリシャとサラプティアのやもめについての観想(列王上一七・八―一四)
  16 主の変容についての観想
  17 自然・本性的な法と書かれた法,そしてそれら相互の関わりにおける調和についての観想
  18 自然・本性的観想の五つの方式についての簡潔な解釈
  19a メルキセデクについての観想
  19b メルキセデクにおいて語られたことの「主についての解釈」
  19c メルキセデクについての他の観想
  19d 日々の始めも生命の終わりもないということについての他の観想
  19e 「永遠に祭司に留まる」(ヘブライ七・三)についての観想
  20 アブラハムについての観想
  21a モーセについての観想
  21b 同じくモーセについての簡単な観想
  22 法以前の聖なるものと法以後の聖なるものとはいかに似たものとなりうるか,そして自然・本性的な法と書かれた法とはいかに互いに対応しているか,についての観想
  23 法(律法)に即して聖人たる人々は,法を霊的に受容し,法によって示された恵みを予見したということ
  24 諸々のアレテー(徳)の姿をもってキリストに真摯に従いゆく人は,書かれた法と自然・本性的な法とを超えた者となること
  25 すべてにおいて神に聴従する人は自然・本性的な法と書かれた法とを超える,というその方式についての観想
  26 福音書に語られているような「盗人たちに遭遇した人」(ルカ一〇・三〇―三七)についての観想
  27 アダムの逸脱が生じた仕方についての観想
  28 聖人たちはこの定まりなき現在の生命とは別の,真実で神的で純粋な生命があると教えていること
  29 聖人たちは,われわれのように「自然・本性的な観想」や「文字による神秘への参入」を為したのではないこと
  30a 主の変容についてのさらなる観想
  30b 〔主の〕変容についての他の簡単な観想
  30c 主が「肉を通しての自らの摂理に従って」,自らの原型として生じたこと
  30d 主の輝く顔についての観想
  30e 主の輝く衣服についての観想
  30f モーセについての他の観想
  30g エリヤについての他の観想
  30h 主の変容にあって主と対話したモーセとエリヤについての観想
  31 世界が必然的に終極を有することについての自然・本性的な観想
  32 将来の世について,そして神と人間との間の深淵,またラザロと父祖アブラハムとの間の淵とは何かということについての簡単な観想
  33 諸々のアレテー(善きかたち,徳)についての観想
  34 聖人たちが被造物から神を学び取った,その自然・本性的観想
  35 世界が,そして神の後なるものが根拠と目的とを有することについての自然・本性的観想
  36 実体,性質そして量――それらは根拠なきものではありえないが――の「集約と拡張」についての観想
  37 神以外のすべてのものは明らかに場所のうちにあり,それゆえ必然的に時間のうちにあり,そして場所のうちにあるものは時間に従って「在ること」を始めた,ということの証明
  38 もし何かが多なる量に即して「在ること」を有するならば,それは無限なるものではありえないということについての論証
  39 すべて動かされるもの,あるいは実体的な異なりのあるものとして世々に観想されるものは,無限ではありえないこと,そして二は始まりではなく,始まりなきものでもないこと,さらには単一なるものは,それのみがまさに始まり(根拠)であり始まりなきものであることについての証明
  40 二と単一について
  41 万物に対して神の自然・本性的な予知(摂理)があることを示す観想
  42 右のような質料的な二に関して,聖人たちの言う異なり,および三一性のうちに思惟される一性についての観想
  43 魂の受動的部分,およびその一般的な異なりと区分についての考察
  44 聖書によれば,知者は自然・本性の法に知恵のロゴスを結合すべきではないこと,そしてアルファという字母がアブラムの名に附加されたのはなぜなのか,ということについての観想
  45 モーセが靴を脱ぐよう命じられたことについての観想
  46 犠牲の諸部分についての観想
  47 癩病の法的な区別についての簡単な観想
  48 ピネハスと彼によって亡ぼされた人々とについての観想
  49 「聖なるものを犬に与えてはならない」(マタイ七・六),そして「使徒は〔旅のために〕杖も袋も靴も持ってはならない」(ルカ九・三)とされていることについての観想
  50 癲癇の病ある人についての観想
 一一 ヨブの試練
 一二 ロゴス・キリストは罪を犯す人々を鞭打つ
 一三 耳と舌との欲求と,それらに抗する魂の姿
 一四 ロゴス(言葉)と事柄とにおける秩序
 一五 万物の根拠たる神
 一六 「子が父に似ていない(非相似)」とするアレイオス派に対する批判
 一七 存在物の実体・本質,自然・本性,形相,形態,結合,力(可能性),働き,蒙りなどの意味射程
 一八 神的なものは「在りかつ存立する」が,「何で在るか」は知られえない
 一九 昼のような想像と夜の偽りなき視像
 二〇 パウロの言う第三天,そして「前進,上昇,摂取」という階梯
 二一 愛によるアレテー(徳)の統合,および神的ロゴスの顕現
 二二 ロゴスと神的エネルゲイアとの顕現
 二三 三一性の成立の構造
 二四 意志と生成
 二五 自然・本性と原因について
 二六 父と子とは同一実体(ホモウーシオス)であること
 二七 「神」,「父」という言葉について
 二八 神のうちなる諸々の自然・本性のロゴス(意味,根拠)
 二九 神においては,「悪」や「存在しないこと」はありえない
 三〇 神の子という呼称
 三一 「新しいアダム」たるキリストと,上なる世界の完成
 三二 十字架についてのさまざまな観想
 三三 「ロゴスの受肉」の意味
 三四 神についての知と不知
 三五 善性の注ぎ,その受容と分有
 三六 ヒュポスタシスに即した結合・一体化
 三七 神的ロゴスの観想の諸方式
 三八 ロゴスとともなる苦難と,ロゴスに即した神的な生
 三九 神の存在についての非ロゴス的な誤り
 四〇 同一実体で同一の力ある「三つのヒュポスタシス」
 四一 存在物の五つの異なりと,それらの統合・一体化
 四二 三つの誕生
 四三 空しいものによりかかって,神的な生から離れてはならないこと
 四四 神のロゴスは人間愛に満ちている
 四五 アダムにおける「逸脱(罪)以前の姿」
 四六 救い主の多くの名称
 四七 キリストの神秘の受容と観想
 四八 信・信仰によって頭たるキリスト(受肉したロゴス)に与りゆくこと
 四九 洗礼者ヨハネの帯を模倣し,宣教を為す人
 五〇 この世から離脱したうるわしい姿
 五一 ラケル,レア,そしてヤコブの象徴的意味
 五二 キレネ人シモンとは十字架を担う人のこと
 五三 キリストとともに十字架につけられた人
 五四 キリストの神秘的な体・身体
 五五 ニコデモスとユダヤ人との意味
 五六 マリア,他のマリア,サロメ,そしてヨアンナの象徴的意味
 五七 ペトロとヨハネ,そして両者の出会いについての象徴的意味
 五八 ロゴス・キリストの復活についての信と不信
 五九 ロゴス・キリストの「地獄(冥府)への降下」の神秘
 六〇 キリストとともに天に昇ること
 六一 幕屋についての観想(ロゴスの受肉という摂理)
 六二 ダビデとイエス・キリスト
 六三 「第一の主日(復活)」と,より高い「新しい主日」
 六四 時宜を得ない観想
 六五 「在ること,」「善く在ること」,そして「つねに在ること」という階梯
 六六 七日目の神秘と,六,七,十などの象徴的意味
 六七 五つないし七つのパン,砂漠,四千人などの意味
 六八 より善きものを識別するための賜物
 六九 時宜を得た命題と不完全な命題
 七〇 アレテー(徳)の称讃をめぐって
 七一 神的な受肉の神秘――神の愚かさと遊び

解説/あとがき/訳註/参考文献/索引・聖句索引

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内容説明

本書は証聖者マクシモス(580頃-662)が主にナジアンゾスのグレゴリオス(329/30-389/90)と,ディオニュシオス・アレオパギテース(6世紀)の諸著作から難解と思われる箇所を選び,それらを解釈し敷衍した『難問集』の全訳である。

マクシモスは2世紀以来の東方・ギリシア教父の全伝統を継承し,豊かに展開させたことにより,東方教父の伝統の集大成者,ビザンティン神学のチャンピオンと目されてきた。彼の探究は,ヘブライ・キリスト教による古代ギリシア哲学の「受容,拮抗そして超克」という未曽有の歴史の縮図であり,それらを映し出した姿であった。その営みは極めて困難かつ根源的で,そこに形成されたものは時代,民族,地域を超えた普遍性を備えており,人類の古典に相応しい。

人間にとって神の本質は不知に留まり,神はただそのエネルゲイア(働き)との出会いから,経験され知られるに過ぎない。原初的には神的エネルゲイアを宿した〈信という魂のかたち〉として,神は顕現し不完全な仕方で知られる。本書はこれら存在のダイナミズムを通して哲学(愛智)=神学の可能性を開示する。

訳者による詳細な注解と本格的な解説は,西方教父とは違う新たな知と信仰の世界に読者を誘うであろう。

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