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フッサールの時間論

フッサールの時間論
著者 山口 一郎
ジャンル 哲学・思想 > 現象学
出版年月日 2021/11/20
ISBN 9784862853516
判型・ページ数 A5・416ページ
定価 本体6,300円+税
在庫 在庫あり
 

目次

凡例
はじめに
序論

第Ⅰ部 フッサールの時間流と無限遡及の問い

 第一章 『内的時間意識の現象学』における無限遡及の問題
  第一節 聞こえる音と時の流れ
  第二節 聞こえる音と想い起す音
  第三節 無限遡及はどうして生じるのか
  第四節 問題解決の試み

 第二章 過去把持の発見――ブレンターノとマイノングの時間論批判をとおして
  第一節 ブレンターノの時間論における実在論的前提
  第二節 マイノングの時間論――数学的時間点という理念化する虚構
  第三節 「現出論」で露呈された絶対的時間流
  第四節 実的な体験としての原意識の概念
  第五節 分離できない原意識と過去把持

 第三章 過去把持の二重の志向性による時間流の自己構成
  第一節 縦軸と横軸に描かれた過去把持の二重の志向性
  第二節 過去把持の交差志向性と延長志向性
  第三節 二重の志向性による無限遡及の解消
  第四節 感覚内容の同等性と対象知覚の同一性
  第五節 過去把持を能動的志向性とするレヴィナスの誤解

 第四章 『ベルナウ草稿』における時間意識の分析
  第一節 未来予持に含まれる無限遡及?
  第二節 充実されない空虚な未来予持の合致とその明証性
  第三節 習性化する未来予持の「傾向」と没自我的な感覚性

 第五章 相互覚起(連合)による無限遡及の最終解決
  第一節 過去把持は無意識に働く
  第二節 意識されない過去把持が意識された過去把持に先行すること
  第三節 「生き生きした現在」における相互覚起
  第四節 受動的綜合による無限遡及の最終解決

第Ⅱ部 先触発による時間化としての「出来事(Ereignis)」――時間化の自我論的解釈とモナド論的理解

 第一章 「生き生きした現在」の自我論的把握とモナド論的把握
  第一節 過去把持は作用志向性ではないこと
  第二節 過去把持が受動的志向性であること
  第三節 時間内容はどう決まるか
  第四節 「生き生きした現在」の反省可能性とモナド論

 第二章 発生的-モナド論的現象学における時間化
  第一節 『哲学入門』(一九二二/二三年)における過去把持の必当然的明証
  第二節 フッサールが振り返る時間論の展開
  第三節 自我論的時間論の限界
  第四節 自我論的現象学からモナド論的現象学へ
  第五節 間モナド的時間化によるモナド論的目的論

第Ⅲ部 感覚と時間

 第一章 感覚内容の生成――カントの図式論における時間規定と受動的綜合
  第一節 超越論的構想力の図式論における時間規定
  第二節 カントの時間規定とマクタガードの時間論
  第三節 時間の前後関係のカテゴリーによる規定(カント)とフッサールの明証体験
  第四節 カントの時間総括の全時間性とフッサールの遍時間性との違い
  第五節 カントの実践理性とフッサールの理性衝動(Vernunfttrieb)の目的論

 第二章 「言語行為」による時間論とフッサールの時間論――感覚と言語
  第一節 「過去の実在」と身体記憶
  第二節 現在の知覚的射映の志向的統一と過去の想起的射映の志向的統一
  第三節 「言語論的転回」に基づく「物語り論」における間主観的時間の構成とフッサール発生的現象学における相互主観的時間の構成

 第三章 「感覚の強度」について――エーデルマンの「神経ダーウィニズム」と神経現象学
  第一節 エーデルマンの神経細胞群淘汰(神経ダーウィニズム)説
  第二節 意識の出現について
  第三節 エーデルマンの神経ダーウィニズムと感覚の強度

 第四章 運動感覚(キネステーゼ)と時間
  第一節 不随意運動と随意運動の運動感覚とその時間性
  第二節 「動感(キネステーゼ)メロディー」の共同時間化による「わざの狂い」の克服

第Ⅳ部 フッサールと唯識の時間論における逆説的時間化について

 第一章 仏教と現象学
  第一節 仏教の苦の教え――ドイツの仏教研究者,和辻哲郎,武内義範の解釈
  第二節 現象学にそくした仏教の研究の可能性

 第二章 唯識の時間論とフッサールの時間論
  第一節 法の教説における唯識の時間の分析
  第二節 カントの時間論とフッサールと唯識の時間論
  第三節 フッサールの「生き生きした現在」と唯識の「識の転変」との対照考察

あとがき
参考文献
索引

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内容説明

時間とは何か。哲学の歴史の中でもアリストテレスやアウグスティヌスをはじめ,古くから問われてきた「時間」。その問題は,フッサールにとって,自身の現象学の核心問題であり,生涯に渡り探求し続けた根本問題であった。
本書は,時間意識に取り組んだ最初の著作『内的時間意識の現象学』をはじめ「フッサール全集」に収録の時間意識に関する前期から後期にいたるテクストの読解を通して,フッサールの時間論を解明する。
第Ⅰ部でははじめに「音が聞こえている」経験を現出論の観点から分析し,時間意識の構成問題を検討する。
第Ⅱ部では時間化にかんしてフッサール現象学の自我論的把握とモナド論的把握との対立関係を示し,自我論的時間論の限界,自我の関与を含まない「間モナド的時間化」の領域を明らかにする。
第Ⅲ部では「感覚と時間」に焦点を合わせ,フッサールの受動的綜合による時間論とカントの図式論における時間規定や言語行為に基づく時間論との違いを解明する。神経現象学,スポーツ運動学の最新の成果を活用して,その実践的意義を考察する。
第Ⅳ部では大乗仏教の唯識の時間論との比較考察を通して,仏教の時間論との共通の関心が示される。

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